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植物に学ぶ

植物に学ぶ

皆様には、ご自身にとってメンター(よき指導者・優れた助言者・師事できる者)と思えるような敬愛すべき存在はいらっしゃいますか?

私にとって、日々を生き抜く上でメンターとはっきり認識できる存在は「植物」です。

この地球上で最も長寿の偉大なる生物、植物。
過酷な環境下で脈々と次世代に種をつなぎ、粛々と生き抜く植物。

彼らの生き様には、私達人間が生活していく上で大いに参考となるヒントがたくさん秘められています。
これらのヒントは、時には我々の心の迷いを払拭し、時には勇気を与えてくれます。

この植物達の素晴らしい驚きの生き方については、以降の記事でもぜひ触れていきたいと思います。

今回は、そんな数々のヒントをご紹介する前に、なぜ生きる指針となるメンターが「人」ではなく「植物」であるかという点についてお伝えしたいと思います。

誤解なきよう、先にお伝えします。
決して人が植物に劣るとか、そういう意識は毛頭ありません。
哺乳類・昆虫・鳥類・魚類・植物・爬虫類・微生物
地上に暮らすもの、海洋に暮らすもの、生きとし生けるものそれぞれのが、奇跡の進化を遂げ、素晴らしい特性・魅力を持っています。
そもそも地球上の全ての生物について優劣はつけがたく、つける必要もありません。

なぜ植物の生き方に学びたくなるなるのか

なぜ植物に師事するのか、その理由は私自身が「人」であるからです。
「人」の強さ弱さを身に染みて自覚しているからこそ「植物」に強く惹かれるのです。

人間は進化の過程で脳を発達させてきました

脳の発達により言語・記憶・学習・創造という素晴らしい能力を勝ち得ました。
ですがその一方で、思考・心理の領域はより複雑に絡み合い、時には脳が持ち主自らを蝕む方向へ導くことさえあります。

心の病は、複雑に繊細に緻密になりすぎたゆえのオーバーヒート。
突き詰めすぎることで起こる心のマイナス現象です。

心の病は、往々にして心身に支障をきたし、やがて生きる気力さえ放棄してしまう事態を招いています。

本来、わが身を守り、活き活きと生存し、子孫を繁殖させるために発達したはずの「人類の脳」が、自滅の道を選択するという事実。
これは、本来の生命体としての本能と逆行しているようで、とても哀しい現象です。

私自身、正直なところ、生きることに対してどちらかと言えば「厭世的」な方ではないかと感じています。

時に自分の存在が無意味では?と問いたくなるほど「虚」を感じる瞬間があります。
このような感覚を感じたことのある方は、もしかしたら少なからずいらっしゃるかもしれません。

無気力とは少し違う感覚です。

ただ、食欲とか物欲とか権威欲・自己実現欲といった「人間の喜び」であるはずのものにほとんど興味を感じない自分がいることにふと気付くのです。
マズローの欲求5段階説で言えば、生理的欲求と安全欲求だけを残した状態でしょうか。

それはまるで俗世から離れ明日にでも尼寺に入ってよいと思えるような、「世捨て人」の心境に近い状態かもしれません。笑

現代のように衣食住が豊かになればなるほど、心の病に侵される傾向は強くなっています。
実際、飽食の国(先進国)に暮らす人ほど心の病に侵される割合が多いというデータは周知の事実です。

そう、人間は「複雑」になりすぎたのです

想像力が豊であるがために、まだ起きてないことに対し勝手に不安を感じたり、誰かと比べて卑屈になったり羨んだり、ありもしない被害妄想や猜疑心にとらわれたり。

こんな風に生きていると、私達に心が休まる時はありません。
地球上に心を病む人類が日増しに増殖していく一途です。

ひとつの生命体として、よくよく考えてみると、こうした在り方は明らかに「損」だと思うのです。
日が昇り日が沈む
地球の1日24時間の営み

この24時間を、どう感じ、どう味わい、どう過ごすか

今一度、生命体としての原点に立ち返ってみる。
自分たちの在り方を再考してみる。
そんな機会をあえて作ってみるのもいいような気がします。

悩み苦しむという思考回路を無意識のうちに選択しがちな私達人間。
そんな思考回路を「選択しない」という選択もあるのです。

植物には「迷い」がありません

ただ生きることに対して、シンプルにまっすぐ対峙する植物

彼らの生き方を知り、彼らに耳を傾け、彼らに寄り添うことで、私達は複雑に絡み合った不要な思考を捨て、より軽快に生きる術を見いだせるのではないでしょうか。

生命体として同じ24時間を過ごすなら、心軽やかに爽快に過ごした方が明らかに「得」です。

植物達は、実は私達人類以上に「生きる」ということに対して貪欲です。
私達が日々の糧を得るために必死なのと同様、彼らの生きる戦いは壮絶です。

私達と植物との大きな違いは生きることへの「潔さ」と「覚悟」です

植物には「迷い」がありません。
私達人間のように無駄に不安・心配を募らせることなく、ただひたすらまっすぐに潔く生きています。

「人」は揺らぎの存在

私達人間は、植物と比べたら、とても移ろいやすい生物です。
昨日の考えが今日は変わる。
あれこれ不安を抱き、起こってもないことに頭を悩ませる。
己の欲求を満たすために、他者を傷つけ陥れたり騙したりする。
弱者を見くだし、肌の色や出身国、経済状況の差など、無意識に心の片隅で差別し、狭い優越感にひたる。
自らの信条・思想を押し付け、同調しない他者を排除する。

このように人は得てして視野が偏りがちで、不安定な存在です。

「人」は環境に左右される生物

そして人は置かれた環境に大きく左右される存在でもあります。

例えば富や権力、地位を手にすると変わる人。
逆に財力や地位を失って変わる人。
所属する集団によって日和見的に言動を変える人。
関わる相手によって強くなったり弱くなったりする人。

このように人間という生き物は、環境に左右されながら「揺らぐ存在」です。

人は集団を形成して生きる社会的動物だから、身を置く環境によって揺らぐのは仕方のないことかもしれません。
時にこの揺らぎは、己の立場を守るためのリスク回避行動として必要不可欠な能力とも言えます。

一方で「植物」に揺らぎはありません。

ただ置かれた場所でひたすらまっすぐ生きています。

植物という生命体は、置かれた場所が荒野であろうがアスファルトであろうが、果敢に発芽し、根を張り養分水分を集め、太陽に向かって必死に両手(枝葉)を広げています。
極寒の中、灼熱の中、乾燥地、湿地帯、彼らは、与えられた環境に不平不満をこぼすこともなく、次世代の種子を残すために粛々と生きています。

その生き様は、人間よりずっと「達観」している境地ではないかと感じます。

ただひたすら「潔く覚悟して生きる」

この痛快なまでの彼らの「潔さ」が、私の心を捉えて離しません。
ですから、私は植物を敬い畏れ、その生き方に学び、師事したい衝動に駆られるのです。

人生の様々な局面で「植物」という存在に助けられてきた私が、彼らから教えていただいたこと、学ばせていただいたことを、この先少しでもお伝えできれば嬉しいです。

今日も長文、お付き合いいただきありがとうございます。

花、そして植物を通して多くの方に笑顔を♪
皆様お一人お一人が、今日1日を心穏やかに、心豊かに過ごせますように。